飛行機を止めた男のはなし

 寄稿文の関係で字数に制約があり本文中では触れていないが、滑走路に向けタキシングを開始した飛行機がターミナルに戻ることは非常なタイムラグと経済的損失を蒙るだろうことは理解できるだろう。
 JALの機長はそういったリスクを想定しつつも瞬時に人命救護の判断をしてくださった。
 実は東邦大学大森病院で一連の処置が終わったのが11時を過ぎていたと思うのだが、そこにはJALの社員がいて状況と私の荷物の確認のためにずっと待っていてくれた。
 事の次第を自宅に連絡し、翌日は家内のために満席だった地元旭川からの便に席を確保してくれ、羽田からタクシーまで手配してくれたという。

 JALとはそういう会社である。

 平素より自他共に認める飛行機好きの私本人はもとより、私の知人友人にはJALクルーの日ごろの様々な訓練や適切な判断は何にも代えがたい信頼である旨公言しているところである。
 JALの皆さん、本当に、心から感謝しています。

 一方、ことの原因の一つとなったであろうGゲート傍で自社の客を優先誘導していたSKYのグランドホステスの冷たさは、その後の度重なる同社の整備不良といった経済優先の会社姿勢と相まって数年を経た今も非常な嫌悪感を覚える。
 いま、旭川は旭山動物園のお陰で空前の観光ラッシュに沸いています。
 地方空港では少しは乗客数も稼げているのかな?
 でも、JALとANA(ADO)とアシアナなどでいっぱいいっぱいですから、SKYはゆめゆめ路線を作ったりしないように。


 文頭から何だが、①煙草を吸っている、②LDL-Cが高いだろう、③血圧も高そうだ、④45歳以上だ、⑤仕事が忙しくてストレスありそうだ、⑥どうみても肥満体だという言葉を聞いて、私を思い浮かべられるなら、あなたは相当な「佐藤フェチ」である。(ちなみに「東洋フェチ」でもある)
 実はこれらの項目は「心筋梗塞の原因」に挙げられているもので、他に女性より男性、家族歴、糖尿病、透析などがある。

 昨年11月18日(金)、私はこれら①から⑥の要因項目をもって日本薬剤師会事故防のワーキングのため、東京四ツ谷の日本薬剤師会館に赴き、集まった委員たちと期日の迫った作業の調整や分担を打ち合わせ、16時半終了予定の会議が終わったのが18時を過ぎていた。
 帰路羽田発JAL1039便の出発時刻は19時05分。
 搭乗手続きを考えると、殆ど時間がない。
 挨拶もそこそこにタクシーに乗ってはみたが、そこはハナ金の東京都内、大渋滞である。
 それでも何とか18時50分過ぎには空港第1ターミナルに着き、出発ゲートに一番近い手荷物検査場Gまで走った。
 が、そこは今度北海道にも来るらしいスカイマークエアラインズ専用?の検査場だったのだ。

 検査は遅々として進まない。
 既に19時数分前。
 出発時刻が迫ったSKY便の客には便宜を図っているようだが、他便の客に声はかからない。
 業を煮やしてそこに居た係員に「出発が7時5分なんですが」と告げると「会社が違いますから」と無視された。

 19時を少し過ぎてようやく検査を通過し、憤怒の気持ちを抱えてゲートまで猛ダッシュ。
 当然最後の搭乗者となった私は、CAに詫びながら機内の人となり、肩で息をしながらびっしょりと汗をかき座席44Kに座った。
 隣は若いお嬢さんである。

 さて、座席について間もなく、ボーディングブリッジは飛行機を離れ、1039便はプッシュバックを受けて滑走路に向けタキシングを開始した。
 私は先ほどの猛ダッシュが効いたのかまだ呼吸が荒い。
 何とか落ち着かせたいが時間がたっても呼吸が全く安定しない。
 胸が、呼吸が苦しい。
 頭から肩にかけて冷水を浴び、冷凍庫にでも放り込まれたかのように冷たい。
 なのに汗がとめどなく滴り落ちる。
 おかしい。
 いままで経験したことがない不安がよぎる。
 「ハァ、ハァ」と声が出るくらい苦しい。
 飛行機は離陸に向けてどんどん進む。
 万一このまま体調が戻らずに離陸してしまっては大変なことになる気がする。
 多分、死の予感というのはあんな感じなのだろう。
 唐突に家族にもう会えないかも知れないという漠然としながらも確信めいた不安が襲ってくる。
 「あぁー、やばいな、おれ死ぬのか?」と思った瞬間、私はCAのコールボタンを押していた。
 が、「ポーン」がならない、ランプが点かない。
 飛行機は間もなく滑走路というところで離陸の順番待ちに入った。
 数分後には離陸である。
 はぁはぁ言いながら隣に座っているお嬢さんに声をかけた。
 「すいません、CAさん呼んでいただけませんか?」
 女性は「このデブ遅れてきたくせに、まだ何か迷惑かけようとでも言うのかい!」というような目つきで「ボタン押せばいいんじゃないですか?」と言った。
 「すいません、押してるんですが鳴らないんです」といい終えて、私の額は前席のシートバックにもたれかかり、そのあと声が出せなくなった。
 ただ事でない雰囲気を感じ、彼女もようやく気がついてくれたのか、ほどなくCAが来た。
 「大丈夫ですか?」と声がかかる。返事ができない。
 CAはすぐに異常に気づき、踵を返してキャプテンに連絡したらしい。
 「ターミナルへ戻ります」という声が聞こえた。
 ほどなくキャプテンから機内で病人が発生したので空港に戻る旨のアナウンスが入り、続いてドクターコールが入った。
 このあたりから記憶がはっきりしないが、2名のドクターが来てくれて脈を取ったり簡単な問診を取ってくれた。
 札幌医大と泌尿器科という言葉が聞こえたが、どちらのドクターが札医で泌尿器科なのかは分からない。
 申し訳ないが顔も見ていないのだ。
 何某かの輸液も打たれていたように記憶しているが、結局何の病気か分からないまま飛行機は駐機場に戻り、私は機内用の小さな車椅子に乗せられて飛行機を降りた。
 ターミナルビルへ迎えに来た救急隊へと引き継がれ、救急車に乗せられて救急病院に向かうのである。
 えらいことになったものだが、こうして私は東邦大学医療センター大森病院へ搬送されたのである。

 東邦大学医療センター大森病院は、大田区大森にある医学部附属の病院で、救急センターを併置してある。
 羽田空港第2ターミナルには東邦大学羽田空港クリニックがあり、この救急センターとホットラインが結ばれている。
 病院までは空港から直線距離で5~6km程度であり、急病人の対応にはもってこいの立地である。

 さて、苦しみに悶える私を乗せた救急車は救急センターに乗り入れた。
 救急隊員は医師に経過の報告をしている。
 手際よくYシャツの前が開けられ心電図がとられる。
 ほどなく「ペースメーカー」という言葉が聞こえる。医師が言った。

 「佐藤さん、あのね、心臓の血管が詰まってるんだ。これから血管から管を入れて詰まっているところを通すからね。」

 ここにきてこの苦しさの原因がおぼろげながらわかってきた。
 どうやら私は心筋梗塞を起こしたらしい。

 「佐藤さん、右手を上げて」右手全体が消毒され、腕からカテーテルが入れられた(と思う)。
 心臓の血管に何やら入れられているのに痛くもないし違和感もなく、それが原因の苦しさもない。
 「うーん」「行け」「よし!」何をやられているのかはわからないが、私の周りは張りつめた緊張感とプロ同士の会話で満たされている。
 間もなくあれほど苦しかった胸や呼吸が俄然楽になってきた。どうやら血流が回復したようだ。

 「佐藤さん、通ったよ。もう大丈夫だからね。」 医師の言葉が温かい。

 そう、この時点で私は九死に一生を得たのである。

 CCUに2日2晩繋がれた。
 救命担当のナースが優しい。
 何くれとなく声をかけ、首の下からIVH、胸部に心電図、両腕に輸液、いろんな管やコードだらけの我が身の世話をしてくれる。
 その後一般病棟に移り、後日詳細を主治医から説明された。

 右冠動脈完全閉塞による急性の心筋梗塞で、PTCAにより閉塞部分の血流が回復し、ステントが留置されているとのことだ。
 残念ながら支配下心筋の部分壊死が後日の核医学検査で分かったが、左冠動脈が閉塞したら即死も考えられるということなので良しとすべきかもしれない。
 ただ、その左にも狭窄部分があり、これを今後どうするかを考えなくてはならないようだ。

 ちなみに私はその日からきっぱりと煙草をやめた。
 いのち根性が汚いと言われればそれまでだが、あんな苦しい思いは二度としたくない。
 ただそれだけの理由である。
 実はあのときの状況を思い出すのも辛い。
 これを書いている間もずっと胸が苦しい。
 救急病院24時みたいなものを見ると苦しいし、飛行機を見ると苦しい。つまりトラウマのようなのだ。
 戌年生まれの豚が寅や馬になってたまるかなどと吼えてみても、無意識の奥底に刻みこまれた条件反射をどうすることもできない。
 少しずつ慣れていくほかはないのだろう。

 そういえば私は春に家を新築したばかりである。
 家を建てると徳を使うから気をつけなさいとは、薬剤師のくせに坊主になった友人の言であるが、そういうことは古来より言われているものらしい。
 それなら家を建てた者はみな何某かの不幸を背負い込むことになるのだが、そのあたりの説明はどうなっているのか謎である。

 最後になるが、見舞いに来てくれた大森会長、東洋・松野副会長、旭川の野田先生、小樽の桂先生、札幌の有澤先生、岩見沢の水島先生、ご心配をおかけした中西日薬会長と石井専務はじめうちの委員会のみんな、大変な迷惑をかけた日薬事務局の皆さん、メールで励ましを送ってくれた皆さん、店を守ってくれた富樫先生ほかスタッフたち、家を守ってくれた家族たち、私のことを気にかけてくださったすべての皆さんに心からのお礼を申し上げる。

 ありがとう。今のところまだ生きてます。