胆石れぽーと
プロローグ
この物語は平成5年のある日、突然主人公秀幸に襲い掛かった病魔が、様々な人達の助けを借りて癒されていく過程を記したもので、基本的に実話です。
ただし、本文中の当時、唐沢病院で行なわれていなかった「腹腔鏡下胆嚢摘出」という手術は、現在では既に導入されており、今では年間50例以上の実績をあげているとのことです。
特に金属性異物を残さない先進的な技術が導入された手術として多くの患者さんの健康を取り戻す力となってくださっておりますことを申し添えます。
唐沢学洋院長をはじめ、スタッフの皆様へ
ホームページの更新が遅れ、ご迷惑をお掛けいたしました事をお詫び申し上げます。
1:ある日突然!
実は前の職場(中央薬局)に居た平成5年の事。お腹と背中が”脂汗が出るほど痛み、寝ても起きても楽にならない。
この痛みと言うのは、何と言うか、腹の中に手を突っ込まれ、内臓の何処かを指の腹の部分で強くつねられている様な、決して鋭くはないが、じわじわと虐められている様な陰質な痛みであり、さすが鈍感な私も、ただならぬ不安を覚え旭川市医師会の救急センターに出向いたのである。
痛みに襲われたのが何分夜中の事なので家族を起こすのも気が引け、汗をたらたら流しながら自分で車を運転し、夜中に申し訳ないとは思いながらセンターの門を叩く。
出てきた医師(名は覚える余裕もないのだ)が「どうしました?」と訊ねてくれるのももどかしく、「~が~で、~くらいからこことここが痛い」と伝えるのだが、その頃には痛みは不思議と楽になってきていた。
センターでコリオパン(だったと思う)のカプセルと坐薬(ボルタレン)をもらった頃には殆ど痛みも消えてきており、「センターは当座の処置をするところだから、明日にでも(もうその明日になっているが)消化器科か内科の先生の所へ行きなさい。」と言われ「有難う御座いました」と言って外に出る。
後になって考えると、この医師は既に診断を下していたのだ。医師というのは只者ではない。
それが、この実話のプロローグである。
2:何だったんだ?
すっかり汗も引いて家に帰り着くと「父さん、どうしたの?」と家内。
起きていたのか、物音に気付いたのかは知らないが、不安気(を装い)な面持ちで私に尋ねる。
「いや~、腹と背中が急に痛くなって寝ても、起きても、ねじっても、つねっても止まらんから、救急センターに行ってきた。薬もらってきた。早い内に消化器の先生にかかれって言われたさ。」
「ふ~ん。・・・・・・・治ったの?」
「うん。」
どうやら浮気をしてきた訳でもなく、病気が大した事もなさそうだと虚ろな頭で判断したのだろう。
「ふ~ん。どうしたんだろうね。・・・・・・・。寝るわ。」
「うん。」
そして、彼女が寝てしまってから、「コリオパンが出るって言うことは内臓で、平滑筋の絡む消化器の何かだよなあ。内科か消化器?何処へ行くかな?」
その時、以前同じ様な痛みに2度ほど襲われていて、何とか事無きを得ていたのを思い出した。
3:菊地医師に診てもらう
1度目はもっと前の職場(大野病院)に居た頃で、当時親父が勤務していた総合病院で入院し、あの手この手で検査をしたが、結局原因不明で出てきた。それからしばらくは何ともなかったのですっかり忘れていた。
2度目は中央薬局本店勤務時代、やはりあまりの痛さに目の前の菊池外科で大先生に見てもらった時だった。
「どうしたのよ?」既知の間柄でとっても大好きな医学博士である。
「実は~でこことここが痛いんで、(と腰を指し)牽引でもしてもらおうかと思って」
そこで菊地医師、にやっと笑って「仰向けに横になりな」と言うが早いか、おもむろに腹をめくりぐいぐい押すではないか。
「ここはどうだ?」「いや、痛くないです」「ここは?」「あっ少し痛い」「ここは?」「いてててっ」
「うつ伏せになってごらん。ここは?」「痛い」看護婦さんが横で笑っている。
衣服を無造作に元に戻し「よし分かった。でもここでは治さんから、親父さんの病院の泌尿器科に紹介状を書くから行きなさい」
「泌尿器ぃ?」
「そう」と言いつつニヤニヤしながら紹介状を書いてくれている。
「はあ。先生がおっしゃるんですから」と言いつつ紹介状をもらい、翌日社長に許可を得て件の病院へ赴いた。嫌な予感がしていた。
4:総合病院に行こう
総合病院とは何と患者の多い事か。泌尿器科外来に来意を伝え、紹介状を渡し、待つ事暫し。採尿するからと紙コップを渡され尿を採る。コップを置く台は診察室と繋がった小さな窓である。「ちんちん丸見えじゃないか」と思いつつ、考えてみればここは泌尿器科。見たくもないちんちんのオンパレードであろう。別に気にする事はないと気づいたのである。
程なく私を呼ぶ声があり、「は~い」と良い患者を気取りつつ診察室へ入る。家を出るとき感じていた悪い予感の事はすっかり忘れていた。
医師が例の紹介状に目を通している。男前の女泣かせの顔をした医師である。才色兼備の人って居るよね等と分析をしていると、件の医師は、すっと私を見上げながらあの運命の言葉を口にした。
「下を全部脱いで、そこに仰向けに寝てください」
5:えっ!そんな
「パンツも?」一応確認せねば恥をかくかもしれないと思ったのだ。元来私は往生際が悪いのである。
だって、「パンツはいいんですよ」と言われたら末代までの恥であり、父の顔にこの上ない泥を塗る事になる。
「S先生の息子さんが泌尿器科で脱がなくてもいいパンツ脱いじゃってさ」
ひとの口には戸は立てられないのである。
「全部です」
一応の確認はした。結果は明らかだった。
僕の大事な秘密の小枝と二つの繭が知らないおじさんと知らないお姉さんの前に露見する事になったのだ。
覚悟を決めてズボンとパンツを脱ぐ。「衣服はそこの籠に入れて下さい。」と鈴を転がすかの様な看護婦の声も遠く霞んで聞こえてくる。
みっともない事夥しい。これを読む方は創造してごらん。自分が上半身は服を着て、下半身丸出しでベッドに横になる姿。
あまりの突然の事態に僕の小枝は萎えているし。
先ず、菊池医師と同じ様に腹の触診をする。例の「ここは?」「痛くない」である。
その後、「足を開いて」
「えっ?」
「足を開くんです」
「こうですか?」
その時気づいたのだ。僕が開いた股間の向こうに妙齢のかわいい看護婦が立っていた。僕の小枝と繭と洞窟は、彼女の目前に観音開きか三面鏡の如くフルオープンしていたのだ。
「終わったな。何もかも。」「終わった、終わった」言葉が頭の中でこだましている。
「もっと開いて。これから肛門に指を入れますから」と言いつつ、その医師はゴム手袋をぱんっとはめた。「なにっ?」
「楽にして下さい。力を入れないで」
そんな事言っても、通常そこは”入り口”ではなく”出口”なのだ。
「はぁっ・・・。へぇぇぇっ。」と声を漏らしそうになるのをぐっと堪えてひたすら時間が経つのを待っている。
医師の顔は確認できないが、彼の指は明らかに個人の秘密を暴露する喜びと共に、僕の洞窟の中をまさぐり続けているのだ。
「はい、終わりました。あと注射を打って写真を撮りますから。」と言いつつ、彼は僕の残り香のあるゴム手袋をするっと抜いてごみ箱に捨てた。
「服を着てこちらへいらしてください。」
そうだった。彼女はこの屈辱に満ちた時間を僕らと共に過ごし、その一部始終を見ていたのだ。
注射がされる。造影剤である。ここは泌尿器科であるから尿路の造影を行うのであろう。そんな事は今更どうでもいいと思っていた。
6:宣告
造影も済んで待合エリアで休んでいると、患者を呼ぶ声の中に私の名前がある。極めて平静を装い診察室の中に入ると先程の医師が待っていた。
「結果が出ましたよ。これを見てください。」とシャーカステンに尿路の造影画像が貼られた。
「尿管結石ですね。しかももう出てしまっている。この右側の管が左より太いでしょう。詰まってたんですが降りちゃって写真には出ていません。もうしばらくは痛みはないと思いますよ。」
何の事はない。診断は下ったが、知らん振りして今日ここに来なかったとしても暫くは痛みはなかったのである。なのにあんな屈辱的な格好までした私の立場は・・・・・。
「知ってると思いますが、ビールは飲んでいいですよ。お大事に。」
男前の医師は微かに同情を含んだ(と思ったのだが)笑みをたたえて私を送ってくれた。看護婦の彼女はそこには居なかった。
翌日、例の菊地医師の元を尋ね、昨日の一件を簡単に報告した。菊地医師は「泌尿器科ってすごいだろ」という様な顔をして微笑んでいた。
知ってたんなら教えてくれよ・・・・・。
(ビールについては石の種類によって(疾病によって)禁忌の場合もあり、恐らくカルシウム結石であったろう僕の症状の場合でも飲んではいけないとする見解もあります。自分か石持ちの方は医師の指導を守ってくださいね。)
7:専門病院の選択
昔そんな事があったのを思い出し、また尿路の結石なのかなと考えつつ、「消化器か内科」という言葉に「違うのかもしれないし」と反目を繰り返しながら辿りついた答えは「消化器専門なら唐沢病院だな。」であった。「よし明日は唐沢病院へ行こう。」と決めた途端に睡魔が襲う。深夜も3時を過ぎていたのだ。
8:唐沢病院
唐沢病院は老舗の消化器専門の病院で、その筋には聞こえた医師が集まっていると聞いていた。以前あんな経験をしているのだから大抵の事では驚かない。その日も出掛けに「今日は唐沢病院に行って来る。」と家内に言い残して来ただけである。家内も薬剤師であるからそういった事にはあまり頓着がない。その点いい嫁をもらったと思っている。私は射手座のAB型だから色々言われるのが嫌なのである。
受付に昨日の顛末を話し、保険証を出して順番を待っていると、待合室には妙な石ころがシャーレの中に山積みになっていた。説明書きを見ると摘出した胆石だそうである。始めて見た。
「こんなもんが入っていたらさぞかし痛いんだろうな」今はどこも痛くない自分には対岸の火である。
「佐藤さ~ん」と呼ばれ、診察室に入って医師に昨日の顛末を説明。その後例の触診である。
「ここは?」「痛くない」懐かしささえ覚える自分に呆れながら、されるがままになっていると、「カメラを飲んでもらいます」と言われた。
多少の不安はあった。苦しいものだと聞いていたからだ。だがそれを上回る興味もあった。現金なものである。痛みがないというのはここまで人間を素直にするか。
胃カメラの先生は物凄く上手な先生だった。何の苦しみもなく「はい、ごくん、ごくん、そ~その調子、」と優しい声をかけながらカメラと患者を誘導して行く。あっという間にカメラの時間は終わってしまった。
「次にエコーを撮ります」と言われ、検査室に入る。若い臨床検査技師の女性が居た。きれいな人だった。ゼリーを腹部に塗られ、プローブと呼ばれるものが充てられる。冷っとした感触が心地よい。技師が美人だというのも心地よいのかもしれなかった。ハンドヒーリングという奴である。
「これが肝臓。これが胆嚢ですね。」「何かわかりましたか?」「大体ね。」「何です?」「それは先生からお聞きになってください。」それはそうだろう。
診断は医師の仕事である。
検査が全て終了し、待合室で休んでいると、どうしても例の胆石が気になってくる。然し自分と結びつけて考えているわけではなかった。ただ石が何かのエネルギーを発して私を呼んでいるかの様な引き付けられ方だった。「痛そうだな。」
9:診断下る
「胆嚢結石ですね。」
医師は事もなくそう言った。
「胆石ですか?」
「そう。少なくともこれくらいの大きさのが2つ以上はありますね。」
指の頭を指して言った。
「胆汁を出すときに石が詰まると痛むんですよ。かなり痛かったでしょう?」
「はあ」
「放っておいても今すぐどうと言うことはないんですが、いつ発作があってもおかしくは有りません。手術の適応ですね。」
「手術ですか。どういった事になるんでしょう。」
「当院ではここにこれ位の切開をして胆嚢を摘出します。」と、親指と人差し指を十数センチ開いて示し、
「ある程度のダメージが伴いますから退院までは数週間かかりますよ。」
「仕事があります。早まらないもんでしょうか。」
「開腹ですからね。ただ、東旭川病院という所でしたら腹腔鏡という道具で胆嚢を取りますが、おなかに数カ所穴をあける手術ですから左程のダメージはありません。手術の翌日から患者さんは歩いています。どちらを選ぶか考えておいてください。」
「はあ」
「それと、どちらを選ぶにしても発作が起きたらいつでも当院に来てください。すぐ対処しますから。」
「有難う御座います。帰って家族と相談してきます。」「そうして下さい。」「ありがとうございました」
今、全てが明らかになった。あの胆石の山は「お前も間もなく仲間入りだな。」「早くおいで」とオーラを発していたのだ。我が腹中の石は仲間のオーラに引かれて主人であるこの私の体を操り、仲間の元へ導いていたのだ。
大変な事になった。手術である。骨を折ったりひざに水がたまって痛い思いをした事はあったが、腹を切られたことはない。
その夜、年端も行かない倅をひざに抱き、家内との懇談会は始まったのである。何を隠そう、この時家内の腹には第2子が宿っていたのである。
10:報告会
「胆石だってさ」
「胆石ぃ~?」
「手術した方がいいんだって」
「手術ぅ~?」
「うん。でもこの発作は暫く出ないかもしれないし、明日出るかもしれない。爆弾を抱えている様なもんだな。」
「で、どうすんの?」
「別に様子を見ててもいいんじゃないか?また起きる様ならその時考えれば。」
確かに昼間の診察室での衝撃的な診断に、「どうすんだ?」と思った私だが、今現在痛みがないので緊張感がない。
あれほど転げまわる程痛かった筈の胆石発作が遠い過去の思い出となっている。
「今度発作が起きたらな。それにしても手術を受けるなら東旭川かな?入院時間が短いし、術後も楽だって事だし。」
「それは父さんが決めればいいさ。ところでどうしてそうなったの?」
「コレステロール性の胆石ってあるんだってよ。珍味にマヨネーズつけて食ってたのが悪かったかな?それに胆汁が出て行くときに発作が起きるらしいってのは、胆汁は油を分解するんだから油分を摂ったらやばいのかな?」薬剤師らしからぬ会話ではある。
「もうマヨネーズとか止めな。付け過ぎなんだって。」
「どちらにしても今度あんな目にあったら考えるさ。」
「あたしが痛いんじゃないからいいけどね。」
ひざの上で倅が寝息を立てる。
「寝るわ。」
「寝れや。」妊婦は早く寝た方がいいのは古今東西同じである。
そしてその深夜、意外と早く決断は迫られた。
11:夜の訪問者(1)
「痛い!」「ぐぅ~っ!」「つっぅ~!」
何とも表現の仕様のない痛みが脂汗と共に襲ってくる。ずっと未来の筈だった招かれざる客が、「そんな簡単に忘れられても困るんだよな。」とでも言わんばかりにじわじわと迫ってくる。
脂汗びっしょりの額に思い浮かんだのは「発作が起きたらいつでも当院に来てください。すぐ対処しますから。」という件の医師の言葉である。今はそれに縋るしかないのだ。
ただならぬ気配にさすがの家内も起きてしまった。
「痛いの?」
痛いに決まっているのだ。好き好んで夜中に浪曲を唸るばか者は居ないのであるが、何せ我が愚妻である。
「病院に行ってくる。」
もう家内にかまっているほど精神に余裕はないのだ。
病院に電話をかけ、またも自分で車を運転して出かけた。
「先程お電話した佐藤です。夜遅くに申し訳有りません。お願いします。」
当直の看護婦さんは嫌な顔一つせず、夜間玄関を開けて私を招き入れてくれた。
診察室で何某かの問診を受け、当直医の先生が彼の看護婦に指示を出す。それは筋肉注射であった(と思う)。
「まもなく楽になると思います。ちょっと痛いですよ。」
この胆石の痛みが消えるなら、注射の痛みなど・・・。「注射は好きですから。」などと冷静を装っているつもりで言わずともよい事まで口走っていた。
「ふふっ。」と笑う看護婦さんの笑顔も先程から目に染みている脂汗で歪んで見える。
そして、本当に間もなく、劇的に痛みは消えて行ったのである。
「また明日、様子を見せてください。」と当直室に消えて行く医師。
「落ち着くまで少し休んでいてくださいね。」と看護婦。
患者が医療関係者を神様に喩えるのは、恐らくこんな時であろう。
程なく痛みも気持ちも落ち着き、礼を言って病院を去るとき、自分には今、決断を迫られている事がやっと実感できた。
「手術を受けなくては・・・・・。」
私の後ろで「眠たくなる注射ですから気をつけてお帰りくださいね。」と看護婦さんが言っていた。今考えると、あの即効性と鎮痛作用の強さから考えて、あの注射はペンタゾシンであろう。非麻薬性の麻薬類似の強力な鎮痛剤である。
12:深夜の討論
さすがに家内も起きていた。
「寝てればいいじゃん。」
「そうだけどさ。治ったの?」
「注射打ってくれた。すぐに痛みは止まったんだけど、だめだな、このままじゃ。」
「手術かい?」
「うん。あの痛さが何回も起こるんなら、いっそのこと手術した方が早いだろ。」
「そうかもしれないね。」
「東旭川に決めるわ。明日唐沢に言って先生と相談してくる。」
「そうしな。」
「寝れや。」
「寝るわ。」
決断は下った。私は近い将来、東旭川病院で「腹腔鏡下胆嚢摘出術」を受けるのだ。そうと決まれば寝るに限る。あの看護婦さんが言っていた様に気だるい睡魔が先程から私を誘惑していた。誘惑に負けるのは私の最も得意とするところである。
13:転医をお願いする
「先生、やはり仕事もありますので、あまり休む訳にも行きません。東旭川病院で手術を受けたいと思います。紹介お願いできますでしょうか?」
「そうですね、薬局さんも大変でしょうし、今紹介状を書きますのでそれを持って向こうで話をして下さい。」
自院での手術にこだわるのかなと思っていたが、その様な事はなく、患者の選択を優先するというスタンスがはっきりしている様だった。
「それと、東旭川にかかるにしても、もし発作が起きたらご自宅からでは遠すぎますよね。いつでもいらしてください。当直でも対処できる様に手配しておきますから。」
何と言う病院であろう。転医すれば向こうの患者であろうに、そこまで気遣ってくれている。嫌な顔ひとつせずにだ。
「甘える様で申し訳有りませんが、宜しくお願いします。」
そう答えると医師はにこっと笑った。
紹介状を書いてもらい、会計などを済ませて帰ろうとしたとき、僅かに後ろ髪を引かれる気配がした。その方を振り向くと例の胆石の山がこちらの様子を窺っていた。
「悪いな。俺様の胆石はお前達とは一緒にならんのだ。あばよ!」
東旭川に行こうと決意し、ここの医師も快く紹介状を書いてくれたのに気を良くして、石の事を甘く見ていたのかも知れない。
奴らは「そうは行くか!ただでは帰さんぞ」とでも言いたげだった。
14:小心者の生活
数日後の比較的時間の取れそうなときに受診する事に決め、手術を受ける事になった旨を社長に報告して休暇の許可をもらった。ここの社長は強面だが元来は優しいところがあるのだ。他のスタッフも「心配してるよ」と言う顔を作りながら興味本位で発作の状況報告を求める。実際この様に身近な人間が病気の症状を把握しているのは、臨床家でない我々薬剤師にとって非常に興味深く、勉強にはもってこいの材料である。
受診の準備が全て整い、会社で仕事をしていた。発作がなければただの人。至って調子がいいのだ。ところが日中、僅かな痛みの気配がした。油ものは摂れないなと思いながら、取りあえずブスコパンを2錠服用する。予防のつもりだが、いざ発作が起きればブスコパンを筋注したくらいでは止まらない事は理解できていた。胆石の発作はそれほどの恐怖感を患者に与える。曲りなりにも白衣を着る立場であり、自分の病気の何たるかが分かった今、一般人ほどの恐怖感はないにしろ、受けて立つぞという気にもなれない強烈な辛さなのである。
そうして食事にも気を使い、なるべく胆嚢を刺激しない様に気をつけていた。今日は土曜日。来週の月曜日には東旭川病院へ行こうと思っていた。
だが、悲劇は突然襲ってきたのだった。
15:夜の訪問者(2)
夜半、あまりの痛みに目が覚めた。発作が起きたのである。あれほど気をつけていたにも関わらず、「そんな事は知っちゃいないね。」とばかりに腹の中で何者かの指が動き、内臓をつねっている。鈍痛・・・鈍い痛みというが、確かに刺す様な痛みではない。然し我慢が出来ないのだ。助けて欲しいと願うのである。なまじ薬の知識がある為に、ブスコパンの内服では遅いし、ボルタレンの坐薬でも内蔵痛には効果が薄いと思っている。そんな事よりあの注射が欲しい。あれさえあれば楽になるのにと思いつつ脂汗が頬を伝って行く本数が増えている事に慄然とする。
ペンタゾシンは麻薬の範疇ではないが、耽溺性の問題から麻薬に準じる規制がある事は知っていた。「ひょっとして俺はペン中なのか?」という考えが一瞬頭を過ったが、すでに彼方へ消えていた。何でもいい。この痛みを止めてくれ!
迷う事はなかったのだろうが、転医を申し出ている病院に、また「痛みを止めてくれ」と言いに行くのが気が引けた。然し状況は切迫している。頭を下げても一回だ、と自分に言い聞かせて受話器を取る。
「~の佐藤です。また胆石の発作が起きて、、、。伺ってよろしいでしょうか?」汗は額といわず頬と言わず滝の様な流れだ。
「ご自分で来られますか?」気を使ってくれる。「自分で行きます。10分くらいで伺えると思います。」
「お車ですね。スピード出さないで気をつけていらしてください。」「わかりました。有難う御座います。」
言うが早いか受話器を置き、着衣を着けて車に乗った。玄関では家内が寝ぼけた顔と少し心配な顔をMIXして、何とも形容し難い形相で見送っていた。「腹がでかいのに心配かけるね」と言いたかったが「釣った魚には餌はやらない主義」と口外している自分である。しかもそもそもそんな余裕などあろう筈もない。愛車ローレルは脱兎の如く自宅を後にした。
16:泊まっていきなさい
前回の様に夜間玄関で来意を告げ、診察室に誘導される。程なく当直の医師がやってきて看護婦さんに指示をした。
注射をされる。同時に問診を受ける。
「痛かったでしょうね。佐藤さんは前も夜中だったですよね。これから帰っても落ち着くかどうかわからないし、今晩は泊まっていってはどうですか?」
実際痛みは収まっていなかった。この医師の言う通りかもしれない。私は誘惑に負ける事を由としている事は前述の通りだった。長いものに巻かれるのが好きなのだ。この辺は戌年生まれのせいであろうか。
「宜しいんですか?」
「まだ痛みが消えなくても、ここに居れば何とでもできますからね。」
「お言葉に甘えさせて頂きます。」簡単にこんな事を言ってしまうのは、痛いからである。
自宅に電話を掛ける。
「今夜一晩泊まって行くから。」と汗まみれの顔で言った。
「うん。」こんな事もあるかという感じで余計な事は言わない。いい女房である。
受話器を置いてふと目を泳がすと、果たしてそこにはあの胆石の山がこちらを見ていた。しまった!こいつらの発するオーラに胆石が引かれたんじゃないのか?
「ただでは帰さんぞと言った筈だ。また逢えて嬉しいぞ」とでも言いたげな風である。ちくしょー!
看護婦さんに病室まで案内された。この病院は建ててからかなりの年数が経っている。お世辞にも素晴らしい病室とは言えなかったが清潔でさっぱりしていて、ベッドも心地よさそうだった。
然し相変わらず痛みは収まらない。「後でまた来ますけど、痛みが続くようならボタンをおしてくださいね。」とかわいい看護婦さんが言って詰所に帰った。この病室は2人部屋らしかったが、居るのは私だけである。静かだった。車の往来音だけが聞こえる。
然し何故この痛みが今回は消えないのだ?先程打ってくれた注射は何だったんだろう?診察室で医師は看護婦に何を指示したんだろう。相変わらず汗が止まらない。そう言えば「ブス」と聞こえた気もする。先ほどの看護婦はかわいい女性だ。どんなに逆立ちしてもブス呼ばわりされる女性ではない。とすればさっきの注射はブスコパンの可能性が高い。
ブスコパンは臭化ブチルスコポラミンという成分で、副交感神経を選択的に遮断する薬剤である。簡単に言うと内臓を動かす筋肉の緊張状態を解す働きがあるのだが、胆石の場合、胆嚢が縮んでいるのを緩める働きとなる。この作用によって痛みを緩める訳だが今回の場合は効いていない。
注射を打ってから30分~40分程度経っただろうか。遂に痛みに抗し切れずにナースコールを押した。
「どうしました?」
「痛みが治まらないんです。」
「分かりました。」
天使の声である。癒しという言葉があるが、女性にしろ男性にしろ、女性から優しい声を掛けられれば悪い気はしないと思う。特に今わたしは患者の立場にある。本当にベッドサイドで患者が頼りにするのは優しい笑顔や声の看護婦さんではないかとこの頃から考える様になって、今もその考えは変わらない。だからスナックなどでバイトしている看護婦がいると「明日は仕事?日中眠くない?仕事があるのに何でこんな所に居るの?眠たい顔で患者さんの前に立つの?自分の仕事の意味、考えてる?」などと説教してしまうのだ。
17:ペンタゾシンの威力
間もなく件の看護婦さんが来た。既にその手には薬液を詰めた注射器を持っていた。
「やっぱり止まらないんですね。」
「すみません。」謝る必要はないのかもしれないが、お釈迦様の前で人間が自然と頭が下がるのと同じである。
「こんな夜中にごめんね。でもね、ぼくいっしょうけんめいがまんしたんだけどだめだったんだ。」と子供のような気持ちになってくる。その裏には今度の注射よ効いておくれという願いが込められている。
「それはソセゴンか何かですか?」
「そう、薬剤師さんだったですもんね。ペンタジンです。」と言いつつ注射を打つ。
「そうですか。さっきのはブスコパンかコリオパンの類ですか?」
「そう。でも痛みが強いと効かないこともありますね。」
「痛みは変わりませんでした。」
「これは効いてくれると思いますよ。痛みが引いたらそのままお休み下さいね。」
「ありがとう。」と言いながらも脂汗は流れつづける。注射は終わった。あとは効果発現を待つのみだ。
「ゆっくり休んで下さいね。」
「すみませんでした。」
そして程なく効果は現れた。痛みが引いていく過程が認識できる程の早さである。と同時に恍惚とした睡魔が襲ってきた。蟻地獄に落ちて行く蟻の様に眠りに引きこまれる。何の抵抗もなく感情の淀みに身を任せた。翌朝起こされるまで気付かずに。
18:東旭川病院
東旭川は旭川市の隣町。屯田兵の開いた土地で(もちろんここだけではないのだが)記念館もある。旭山動物園に行く道程の小さな町である。
この長閑な風景の中、東旭川病院の白い建物が幹線から少し入ったところにある。
あの一件以来、早く手術を受け、普通の状態に戻りたかった。受付で来意を伝え、呼ばれるが侭に診察室へ入る。担当の若い医師に今までの経緯を説明し診察を受けた。がっしりとした体格のいい、それでいて太っているという訳でなく、やさしい面持ちの医師であった。
「確かに取ってしまった方がいいかもしれませんね。結構大きそうだな。どうします?手術。」
「受ける事を前提に参りました。このままでは生活にも支障があります。お願いします。」
「分かりました。ざっとは聞いていると思いますが、手術には2通り有ります。一つは開腹しての切除。在来の術式です。もう一つが腹腔鏡をつかった手術です。」
「大体聞いてきました。」
「ご存知の通り、簡単に言うとおなかに4箇所穴をあけて、ガスで中を膨らまします。管とカメラを入れてテレビを見ながら電気メスやレーザーを使って胆嚢を切除します。傷をつける数が少ないので術後も一般的には翌日から歩いてもらっています。手術の前後1週間、計2週間が入院の目安です。何時から来れますか?~日位ならベッドも空くんですが、大丈夫ですか?」
「大丈夫です。会社には休暇を願い出ていますから。」
「そうですか。では~日に入院という事で予定しておきます。入院したら検査が沢山ありますからね。それとそれまでの間薬を出しておきます。」
「有難う御座います。あの、発作が起きたら来てもいいんでしょうか。」
「そうですね、その様に指示しておきますから遠慮しないで来てください。」
「よかった。ありがとうございます。」
こうしてまたもよい先生に恵まれて私の入院が決まったのである。
19:入院生活
入院する旨、社長に正式に報告し休暇をもらった。自分の為に有給休暇を取ったのは新婚旅行に行って以来ではないだろうか。この会社は決して人使いが荒い訳ではない。例の強面社長の人徳である。市内に十数店の支店を持っていながらそれを統括管理できるのは下に社長を慕うスタッフが充実しているからである。
兎も角、約束の日に夢にまで見た入院をした。一切の社会的なしがらみから開放された世界。昼間から寝ていられるのはいい身分である。まして田園広がる東旭川にあって、幹線道路から2~300mほど離れているせいか見事なまでに静かである。療養にはもってこいのロケーションではないか。なぜこんないい病院があることに気付かなかったのだろう。
私を病室まで案内してくれたのは若い笑顔が素敵な優しい看護婦だった。入院中時々見かけたがいつも笑みをたたえているかの様な女性であった。
その看護婦さんからざっと入院中の諸注意をレクチャーされた。なにせ今は痛くないものだから、ただ若いきれいな女性とお話をしている様なもの。
気が楽になっている自分がそこにはあった。
入院中には色々な検査がある。麻酔をかける準備の為、タバコは吸ってはいけない。肺活量を確保する為にピークフローメーターを渡され毎日言われた通りに吸う。入院中の保証人、手術中に不測の事態があっても訴えたりしないよ用紙の記入などもある。
後刻、先輩看護婦に付き添われて、載帽式が済んだばかりのぴちぴちで~す、という様な新米ナースが輸液のルートを作りに来た。
「注射をする為の針を付けに来ました。この針はずっと刺しっぱなしになりますので、手の甲に刺します。」
「はあ、結構ですよ。」と多少の不安はあるものの笑顔で応える。若い娘には弱いのだ。きっと熟練したナースの方が一発でルートを確保し事もなく去って行ったりするのだろう。でも、以前勤務していた病院で、今は麻酔科医になっている先生が「注射の練習をさせてくれ」といって横の看護婦連中から罵詈雑言を浴びながら汗だくで注射をしていた事があった。注射筒内のエア抜きをせずに私の腕に針を刺そうとして「あんた患者を殺す気かい!」と怒鳴られたりしていた。もちろん打たれる私は冷や汗もんである。注射は理論ではない。技術である。技術を取得するには練習が必要なのだ。
患者は注射されて痛ければ「痛い」といったほうがいい。痛くしない注射技術があり、それを習得できれば、看護婦は患者に信頼される。世の中は意外と単純だったりするのだ。私の亡き母は、赤十字の正看護婦だったが、注射と包帯は誰にも負けないと言っていた。事実、悪童であった私は傷が絶えないのだが、母が巻く包帯は、例え関節部であってもほどけたことがない。また、母が層雲峡の分院に手伝いに行っていた時、来院する患者は皆母に注射を打ってもらいたがったそうである。自慢の母だったりするのだ。
先輩看護婦の厳しい目が光る中、何とかルートを確保し終えた件の若いナースは、「痛かったでしょ。ごめんなさい」と言いつつ、無事に仕事を終えて安堵の笑顔である。「何もだ。よかったね。」実に優しい患者である。
食事も美味かった。病院食など小学校の給食以下だと観念していたのだ。然しそれは間違いだった。今時の病院食はこんなに美味いんだなあと感心したのである。
翌日からは毎日準備の為の検査が続いた。一つ一つの検査は其々経験した事のない事ばかりで楽しい。検査が嫌だという人も居るだろうが、職業柄興味が尽きない。そうやって楽しい毎日が続いていた。
20:手術に向けて
一度発作が起きた。随分痛かったが、隣に入院している親父が私と同病で、けろりとしているのであまり騒ぐ事もできない。とりあえず処置をしてもらって事無きを得たが、この痛みとももう少しでお別れかと思うと自然に口元が緩む。
何日か経ったある夜、妙に廊下が騒がしい。何事かあらんと思ったがそのまま寝てしまった。
翌日検温に来た看護婦さんに
「昨日の晩、騒がしかったね。」と言うと、
「起きちゃった?ごめんね。~号のおばあちゃんが亡くなったの。」
「そうか。大変だったね。そういえばこの病院の霊安室ってどこにあるの?」
彼女は一瞬の迷いの末、「そこ」と廊下の隅を指差した。
「ああ、そう。」と言ってそちらを向いた時、一瞬何かが過った気がしたが、風だったのか霊気だったのかは定かでない。
そうして手術前夜が来た。
「腹腔鏡下胆嚢摘出術」とは前述の通りテレビで腹の中を見ながら行う術式である。
実は、テレビをみながらというのが私の興味を引いていたのである。画像信号の存在はビデオの存在とイコールである。数日前、回診に来た主治医にその事を尋ねてみた。
「手術はテレビを見ながらやるんですよね。」
「ええ。不安ですか?」
「いや、そうじゃなくって、テレビという事はビデオが撮れるって言う事ですよね。」
「ええ。実際にビデオには撮りますよ。」
「どんなもんでしょう、ダビングして分けていただくって言うのは。自分のお腹の中なんて見る機会ないじゃないですか。」
「ははは、そうですよね。いいですよ。生テープVHSで結構ですから用意して下さい。」
「ありがとう御座います。」
「ああ、薬剤師さんだったですもんね。興味、あります?」
「はい。」と答えながら、薬剤師でなくても興味のある患者さんは居るだろうなと思った。
回診ではないが、主治医が来た。今晩と明日のレクチャーを受ける。
「後でお風呂に入ってください。夕食はありません。水もなるべく飲まない様に。消灯時間になったら看護婦が注射をしに来ます。その時おくすりを渡されますので飲んでください。その薬は睡眠剤と下剤です。注射も睡眠剤です。ゆっくり寝ていただくのと、明日の麻酔が効き易くするためです。執刀医は~が担当します。」
「分かりました。宜しくお願いします。」
21:剃毛
午後になって例の注射ルートを作った新米看護婦が婦長さんとおぼしき年配の看護婦と共に現れた。
「ちゃんと言いなさい。」何の事かと思っていると、
「剃毛させて頂きます。」
「毛をそるの?」
「はい。」
「パンツは脱ぐの?」
「脱がなくていいです。」
「ああ、そう。お願いします。」
新米看護婦は恐る恐る着衣の前を開き、私の腹に石鹸のシャボンを塗っていく。まずい!きもちいい。然も僅かにパンツを下げるに当たり、彼女の手が微妙にそこに触れる。この新米看護婦は女子高生位である。このままでは只の雄犬だと思われてしまう。恐る恐るやっている手付きがもっとまずいのだ。一気にやってくれれば仕事としてやっていると単純に割り切れる。
その気持ちを察したのか付き添いに来ている先輩看護婦が「早くしなさい。患者さんは好意であなたに任せてくれたのよ。」「は、はい。」
確かにそうなのかもしれない。「新米なんかじゃダメだ。」といえばそれまでである。
努めて付き添いの看護婦さんの方を見るようにした。やがて剃毛は終わった。
「お礼を言いなさい。」
「ありがとうございました。」
何も礼をされる程の事はしていない。こっちの方こそある意味ありがとうだ。
「頑張ってね。」と声をかける。
「はい。」かわいいのである。
午後になって入浴が案内された。入院してこの方風呂に入っていない。風呂は別病棟の2階にあった。普通のユニットバス程度の大きさである。湯を張り体を洗って身を湯船に沈めると何とも言えない開放感が満ちてくる。明日はいよいよ術場に入る。心地よい緊張感が感じられる。
病室に戻るととなりの親父はもりもり食事をとっていた。食っている音が聞こえる程である。実はそのまたとなりでは寝たきりの老人が輸液だけで露命を繋いでいた。病名は分からないが現在は食事をとってはいけない状態だそうである。そんな日が何週間も続いている。
この患者に比べれば今日1日と術後数日の絶食だけで済む我が身はなんと有りがたい事だろう。早く良くなってとなりの親父のめしまで食ってくれ。
22:メジャーの効用
夕刻になって説明の通り看護婦さんが薬を持って来た。下剤はセンノサイド系であろうが、眠剤は何だろうと思い薬剤名を見るとメジャーである。
メジャーというのはメジャートランキライザーの事で、精神安定剤の仲間の内強力タイプである。これは楽しみだ。かねてからメジャーはどの程度効くものか興味があった。既にこの時点で精神的にはかなりハイになっていたと思われる。就寝時間になって看護婦が注射を打ちに来た。先にメジャーが入っているのだから、マイナーでも効くのかなと思い特に名前も聞かなかった。
が、本人はわくわくして至ってリラックスしているつもりだったのだが、深層心理はごまかせなかった。眠れないのである。何と言う事であろう。不安で寝れないのではなく、興奮して寝れないのである。トランキライザーには不安を取り除く作用がある事は良く知られているが、興奮を鎮める作用も併せて持っているはずである。
「まずい!まずいぞ!俺は寝不足のまま手術を受けるのか。」
焦れば焦るほど深みにはまる砂地獄。ここで一薬剤師として決定的な学習をした。
不眠症という症病名がつけば、或いは薬剤を服用しても眠れない場合が本当にあり、薬の作用の強弱だけでは患者に単純な指導ができない。
もちろん、昼間何という運動もせず、昼寝までして夜、眠れないと訴える不届きな患者も居るだろう。ただ中には我々が思っているほど単純でない不眠もありマイナーからメジャーに換えたくらいではだめな人もいるのだ。医師はその辺を考慮して処方を決定しているに違いない。薬剤師が服薬指導を行う際はそういったバックグラウンド、時には胸を締め付けられる様な悩みがあって寝れない患者も居るのだという事を忘れてはならないのだ。
そんな事を考えながらも悪戯に時は過ぎて行く。こんな事なら酒でも飲んで休んだほうがましかもしれない。私の様な人間は、トランキラーザーよりも病院の庭の草むしりでもさせた方が眠れるのかもしれない。
そうして日付はとうに手術日になっていた夜半、いつのまにか寝てしまっていた。
23:朝の光に包まれて
朝、看護婦が検温に来る。
「よく眠れましたか?」
「いや、あんまり。」
「そう。でも大丈夫そうですね。」と言ってにこっと笑う。瞬間、またも白衣の天使に癒される自分を発見した。寝不足だと思っていたのが嘘の様に吹っ飛んでいる。朝の日差しが眩しい。気持ちがいいのだ。
「ええ、大丈夫。薬のせいかな、短時間で熟睡したんでしょうね。」
そこまでは清々しい朝の光に包まれた病める者と癒す者の会話であった。然し次の瞬間、あの某総合病院泌尿器科の悪夢が再来するかの様な言葉が天使の口から発せられた。
「あとで看護婦が呼びに来ます。浣腸をしますから。あと尿道に管を通します。それまで待っていてください。」
「はい。」と笑顔で応えるしかなかった。そして「佐藤さ~ん、浣腸しま~す。」という言葉と共に若い看護婦はやってきたのだ。
24:術前処置① 浣腸
その浣腸は輸液の容器に薬液を入れ、長いゴムの管がついていると思っていただきたい。この管の先を肛門に入れ、中の薬液を腸内に送りこむのだ。だがそれを自分でやるのであればさして問題はない。看護婦がするのである。やる看護婦も嫌だろうが、される患者も嫌である。
便所につれて行かれた。カーテンで仕切られただけの処置用の便所である。二人でその便所に入りカーテンを閉める。閉ざされた空間に若い看護婦と血気盛んな若者である。通常ではただでは済まないシチュエーションであろう。然し、今回の場合、看護婦の方が積極的である。
「後ろを向いて。前かがみでおしりをこっちに向けて下さい。すこし足を開いて。そうそう。挿しますから痛かったら言って下さいね。」
大の男が若い女の前で尻を出し、肛門をいじられるのだ。これだけ足を開いて、看護婦は下から覗く様な格好になっていれば恐らくあの袋も丸見えであろう。何という事になってしまったのか。
管を挿入するときは意外とするっと入っていった。恐らくグリセリン様のものが先端に塗ってあったのであろう。それだけに、緻密な神経の集合場所である肛門はえもいわれぬ感触を与えてくれる。患者衣を抑える看護婦の冷っとした手が尻の辺りにある。「こんなはずではなかったのに。」
そうして薬液は貪欲な肛門に飲み込まれて行った。
「できるだけ我慢をしてから排便して下さい。あと排便が終わっても流さないで下さいね。ちゃんと出たか確認に来ますから。」
なにっ?俺の肛門を弄り回すだけでは飽き足らずに、○○コまで見せろというのか。おまえはサドかっ!スカトロかっ!
「はい・・・・。」心とは裏腹に答えは決まっていた。そう答えるしかないのだ。
何でこんな目に逢わなくてはならないのだ?去って行く看護婦を便器に座りながら見送り、自己の崩壊する音を病棟内の雑音と共に聞いていた。
間もなく猛烈な腹痛が襲ってきた。出したい!○○コしたい。できるだけ我慢しろと彼女は言った。出してしまったら見られてしまう。
頭の中をぐるぐると、色んな考えが巡る。然し遂に限界はやってきた。
瞬間、水道の蛇口を全開に回したような勢いで薬液と共に排便した。宇宙戦艦ヤマトの艦首波動砲の様な音。ああっ!出しちまった。
もう後へは引けない。ナースコールを押すしかないのだ。
出るところへ出れば私も「先生」とさえ呼ばれる立場であるのに、あんなに若い、しかもかわいい看護婦に○○コを見られてしまうのだ。
然し、いつまでもこんな所に居るわけにもいかない。意を決してナースコールを押した。
「どうしました?」
「出ました。」
「今行きます。」
やってきた彼女は便器の中を覗き、「出たみたいですね。大丈夫だな。はい、いいですよ。病室に戻っていてください。」
言われなくてもその場には居たくない私である。努めて平静を装い病室へと向かった。
25:術前処置② 麻酔前投薬と導尿
それから程なく、別の看護婦が注射を打ちに来た。
「麻酔を効きやすくする為の注射です。」と言う。どうやら昨夜と同様にトランキライザーの様だったが確信は持てない。その頃母がやってきた。
「なしたのよ。」「あんたが手術だからきたべさ。」「いいんだよ、別に。」
母は我が子が心配である。子は母が来て安心して嬉しいのである。それを素直に表現するにはお互い歳を取り過ぎていた。ここまで育ててくれた親なのに「別に居ても居なくてもおんなじさ。」と嘯く30代半ばの中年男がそこにあった。その母も今は亡い。
そうこうしている内に、新たな看護婦が現れた。ショートカットのストレートヘア。メガネを掛けたすっごい美人のおねいさん。「何だ?こんな美人も居たのか?」とびっくりしている頭に、今朝の看護婦の言葉が蘇る。「~尿道に管を通します。」
看護婦は仕切りのカーテンを引き、「尿道に管を通しますから。」と事も無げに言いながら、ゴムの手袋をぱんっとはめた。「楽にして下さいね。」
といっても・・・・・。然し現在に至るまで
○看護婦の目の前で下半身を晒した。
○肛門におじさんの指をいれられた。
○毛を剃られた。
○肛門に管を入れられた。
○○○コを見られた。
などの経験を積んでいる我が身とすれば、こんな事もあるか、程度の精神状態となっていた。
看護婦さんは徐にパンツを下げた。例の小枝が丸出しである。彼女はそれを優しく鷲づかみにして「いれますよ。痛かったら言って下さい。」と言ってオレンジ色をしたゴム管を先端部分に入れはじめた。何とも言い様のない感触だ。掴まれている部分が温かい。意外とスムーズに入っていくものである。「途中2箇所で痛みを感じるかもしれません。」今のところ痛くはない。むしろ経験した事のない感触である。と、「いつっ!」ときた。前立腺あたりの狭窄部なのであろう。続いて2度目。これは先端が膀胱に入った事を示している。
「はい、終わりました。もうすぐ迎えに来ますからね。」
と言って去って行く。大木を期待していたのか帰り際の笑顔は少し寂しげだった。
26:ストレッチャーに乗る
遂に来た。手術の時間である。思えばこの瞬間に辿りつくまで幾多の辛酸を舐めた。それももう終わるのだ。このストレッチャーに乗れば全てが終わる。嬉しさと、始めて準備の整った術場に入る期待から少し興奮気味であった。実際手術が楽しみという感情が自分にあるとは思わなかった。だが心臓移植、肝臓、腎臓移植、骨髄移植などそれを行わないと生きる術のない患者にドナーが現れたら恐らくこれ以上の喜びだろう。ふとそんな事が頭を過った。
「こちらのベッドに移ってください。」看護婦が言う。この後に及んでまだ前がはだけるのが気になった。なにせ今の自分は○ん○んからオレンジ色の管をぶら下げた異様な格好なのだ。その管の先端にはビニール袋が付いている。既に少量の尿が溜まっていた。
「うっ!」
その時股間を貫く妙な、かつ鋭い快感が全身を襲った。この管が何かに触れるととんでもない感触が走るのだ。無理もない。この管は亀頭部分から尿道を通り、前立腺を経て膀胱まで達している。この感じは決して気持ちの悪いものではない。然し耐えられない衝撃なのだ。もうやめてと涙声で懇願したくなる。そんな感触である。
「ちょちょっ!触らないでくれ、自分で移るから。」できるだけ管に衝撃を与えない様に気をつけてストレッチャーに乗る。然し管が何処へも触れない様にするなんて事は無理なのだ。「うっ!」一人で悶えている。更に前がはだけない様にも気を使う。何ともえらい作業であった。
無事にストレッチャーに乗るといよいよ術場である。この病院の術場のドアにはCaution!Laser~Area!と書いてある。何かかっこいい。NASAにでも来たみたいだ。背後では母が心配そうに私を見送っている。母は現役時代、何度となく術場に入っている。然し自分の血を分けた子供が自分ではない看護婦の手に委ねられて術場に赴くのである。
「がんばんなさいよ!」口は悪いがその優しさが感じられる。
「なんもだって!」と言いながら術前処置室に入る。ここで別のストレッチャーに乗りかえる。そうして術場の門は開かれた。
27:執刀医の笑顔
「お願いします」
病棟の看護婦から術場の看護婦へと患者は引き継がれる。術場の中は緑を基調とした落ち着いた色で、無影灯が天井からぶら下がっていた。テレビで良く見る緑色の術衣を着たスタッフが忙しそうに働いていた。かっこいい~!ここは白い巨塔か?ベン・ケーシーか?E・Rか?
その中に件のビデオの件を約束していた医師がいた。
「先生、ビデオ忘れないでね。」
「おお!まかせときな」にやっとわらっている。然しその瞳の奥にはビデオだけでなく、お前の体を安心して全て任せろ!という絶対の自信が感じられる。「任せたぜ!ダンナ!」とでも言いたい気持ちになってくる。
元来外科の医者は先の菊池医師と同様に言葉が荒いのが多いと思う。でもそれが妙に安心感を与える。そう感じる方も多い筈だ。
腹腔鏡下の手術であるからモニターもある。あれを見ながら細かい手術をするのである。
と、横からふらっと別の医師が現れた。マスクと帽子で詳細は分からないが、どうやら院長の様である。
ここの院長はとんでもないいい男である。すらっとして男らしい体格。苦みばしったダンディで、BMWに乗って去って行く時は「いよっ!日本一!」と声をかけたくなるほどだ。挨拶してふっと見せる笑顔が女殺しの異名を取るかと思わせるのだ。
その医師が麻酔の説明をしてくれる。
「これから麻酔をかけるからね。い~ち、に~い、さ~ん、とゆっくり数えてください。お酒は飲む?」
「はあ、付き合いでは結構」
「あれ~、麻酔の効きが悪いかもしれんな」と言ってにやっとした。
「宜しくお願いします。」全身麻酔というものに興味があった。どんな風になるんだろう。
「そろそろ始めるよ。最初は空気だけ入っていくからね。」
「はい。」
「い~ち」マスクの中の空気が動いた。何かが入ってきたのだろうが、匂いはしない。
「に~い」
すっと意識が消えた。意識が失われる瞬間の事は今でもありありと覚えている。「あっ」という瞬間に意識は遠のいたのだ。
「に~い」までしか数えられなかったのである。
28:覚醒
目が覚めた。意識は朦朧としている。鼻から管が通っている。導尿もそのままだ。ここは何処だとあたりを見まわす。もう夜になっていた。ドアから詰所が見える。詰所前の病室。本来の病室のすぐ傍だ。うつろな目に母の顔が映る。心配そうな顔である。彼女とて手術中のサインが点灯してから色々な事を考えたに違いない。然しその時の私はそれを思いやる気持ちの余裕はなかった。ただ腹の辺りが気持ち悪く、鼻に通ったチューブが苦しかった。「うう~ん。」「気がついたかい?」無言で頷く。「大丈夫かい?」「このチューブとれんのかい」取れる訳ないのである。
二言三言の会話があった筈だが覚えてはいない。
とても腹が気持ち悪く、チューブが邪魔だったが、間もなくゆっくりと眠りに落ちて行った。
29:性悪女二人組
この病院のスタッフは皆いい人達だった。受付も、外来スタッフも、検査技師も、病棟スタッフもである。ただ、二人だけ気を許せない看護婦が居た。どこの職場にも居るであろう。普通に接している分にはとりたてて問題にする程ではなかったのかもしれないが、彼女達が手術の当日の夜勤だったのが悲劇であった。
夜半、鋭くはないが腹部に痛みがある。相変わらず気持ちが悪い。それを付き添ってくれていた母に訴える。母はそのまま詰所の看護婦に伝えた。
面白くなさそうな顔をして看護婦が一人やってきた。
「どこが痛いのっ?」お前、手術後の患者だぞ、部位も確認してないのか?
「腹の、腹のところが痛みがあって、気持ちが悪い。」
「いま、注射を打つから。そしたら楽になるから。」
「すみません。」
母は生粋の赤十字正看である。その顔がみるみる引きつるのが分かる。赤十字の(昔の)看護婦は骨の髄からナイチンゲールスピリットを叩きこまれている。患者を邪険に扱う後輩は遠慮なく叱り飛ばす。そんな世界に生きてきた女なのである。息子が患者だからというだけではないのだ。母の気持ちが良く分かる。
注射を打ってもらった。楽になって欲しいと願っている。ところが待てど暮らせど一向に楽にならない。気持ちの悪さは増して行くかの様だった。
1時間くらい経っただろうか。遂に耐えきれず2度目の出動を願った。その時である。先程とは別の看護婦が現れて、
「あなたに打っているのは麻薬なんだからね。何度も打てないのっ!」といいつつ注射を無造作に打っていく。
ちょっと待て!お前この注射が麻薬だとしたら、医者の麻薬処方なしで打っているのか?そんな勝手ができるのかお前は!いつから医者になったんだ?さっきの注射だって若し麻薬だったらとうに効果が出ているぞ!医師の指示を申し送りで受けて打ってるくせに偉そうにすんじゃねえ!てめえみたいな看護婦が居るから患者が泣くことになるんだ!
と頭では考えつつも、一方これを言葉にして若し苦しいのに何の処置もしてくれなかったらどうしようと考えると口を噤まざるを得なかった。何と患者というのは弱いものだろう。恐らく母も同じ様な気持ちだったと思う。ここが赤十字であれば張り倒しているところである。母は女傑なのだ。
気分を変えるために母に声をかけた。
「なんだ?あいつら。」
「ほんとさ。」
「胆石見たか?」
「先生、取った胆嚢ごともって来るんだもん。」
「ふ~ん。どうだった?」
「紫色の瓢箪みたいな袋でさ、メスで切ったら中に人差し指の頭くらいのが二つ入っていたよ。」
「ふ~ん」
この位から痛みと気持ち悪さが急激に弱まって行った。2度目の注射は麻薬かペンタゾシン、恐らく後者だったろう。ゆるやかに眠りに就いた。
30:抜糸まで
翌日、元の病室に戻された。母は一睡もしていない様だった。
「気持ち悪いけど大丈夫。帰れよ。」せめてもの気持ちだった。
「いや、今日だけは付いてるわ。昨日みたいなことがあったらさ。あったまくるじゃん。」
「ははは。」
確かに居てくれた方が気持ちは楽である。お言葉に甘えることにした。看護婦は日勤に変わっていた。回診が来る。
「どうですか?」と主治医が尋ねる。
「このチューブ、とれないんですか?こいつが気持ち悪いんですけど」
こいつは鼻腔から食道を通って胃まで到達している。咽喉に異物感がありそれが飲みこめないというのは苦しいものなのだ。
「はは、今はまだ取れないよ。2~3日したらね。それともう歩いてもいいですから、どんどん歩いてください。」
「はあ、分かりました。」
「何かあったら看護婦に言って下さい。」
「先生、昨日の夜中に打って頂いた注射は麻薬だったんですか?」
「えっ?いいや、違うよ。何で?」
「いや、別に。」と母と目を合わせると「やっぱり」という顔をしていた。
数日間は気持ち悪かった。原因はドレンである。腹腔内に残る血液や洗浄液を毛細管現象を利用して体外に出すためのリボンの様なものが腹の中から外に出ているのだ。このリボンが内臓に触れて気持ちが悪いのである。痛いわけではない。
然しそれも間もなく取れた。それに先立って鼻腔チューブが外れたときは言い表せない開放感が襲った。
問題がたやすく解けた試験最終日の最後の科目が終わったときの様な開放感である。
また、それと前後して例の導尿も外れた。あのチューブを抜く時はえもいわれぬ快感である。「はぇっ」と声を出しそうな位である。看護婦は淡々とチューブを抜いて、先っぽをガーゼで拭いて「失礼致しました」とは言わないが去って行った。
その数日後、ドレンが抜かれ、抜糸が完了した。いよいよ退院を待つだけである。
その頃から会社の同僚も見舞いに来てくれた。本を持ってきてくれる仲間が居て有りがたかった。自宅の隣りと向かいのおじさんまで来てくれた。肝心の家内が来ないのは間もなく臨月を迎えるからであり、母から来院を止められているのだ。
あと数日で退院できるある日曜日、長男の幼稚園での運動会があった。何とか見に行ってやりたくて主治医に外出を願い出た。
「子供の運動会を見に行きたいんですけど」
「外泊という事ですか?」
「いえ、運動会が終わったら帰ってきます」
「それならいいですよ」
「ありがとう御座います。」
そうして友人の修ちゃんに電話をかけた。彼は快く引き受けてくれ、当日やってきた。
「わるいね。」
「なんもさ。ひでさん大丈夫なの?」
「おかげさんでね。」
幼稚園に着くとまた迎えに来るからと言い残して彼は去って行った。
「父さん!」長男が駆け寄ってくる。然し抱き上げる事は出来なかった。
「元気にしてたか?」
「うん、父さんかえってきたの?」
「まだだ。もう少ししたらな。」
「うん」
子供は元気に競技をこなしていたが、この時点である事に気付き愕然とした。体力が落ちている。立ってられない。ふらつく。腹を抑えながら汗まみれになりながらじっと時間の経つのを待っていた。
漸く運動会も終わり、修ちゃんの車が迎えにきた。
「もう少ししたら帰ってくるからな。お母さんをたのむぞ。」
「うん。ばいばい。」
胸に迫るものを感じながら病院へと帰った。
病室に帰ると例の絶食おじさんがおもゆを食べていた。
「食事の許可が出たんかい?」
つきそいの家族が嬉しそうな顔で応えた。
「少しずつだけど、今はおもゆだけど口から食べて体力をつけて行こうって先生が・・・。」
「~さん、よかったなあ」
~さんは、無言で頷き、その目にはうっすらと涙が光っていた。
31:退院
長い間私を苦しめた胆石はもうない。胆石どころか胆嚢もなくなってしまった。然しもうあの痛みが襲う事は暫くないだろう。暫くと言うのは、胆管結石という代物があるらしいのだ。然しいまは触れずにおこう。
退院後は体力が回復するのに時間がかかった。何でもない作業がひどく苦痛になった。だがそれも数週間でもとに戻った。
胆石の痛みは辛い。
かといって取ってしまえとは言えない。それはあなたの体だからである。
然し、手術を決意して術式で悩む様な事があれば、このレポートを参考にして下さい。
P.S.
その年の秋、前の会社を退職し、現在の会社、(有)プレアデス 道北調剤薬局を起こしました。今は少しでも患者さんの為になれる様に頑張っています。